読書と日々の記録2004.12上

[←1年前]  [←まえ]  [つぎ→] /  [目次'04] [索引] [選書] // [ホーム] []
このページについて
■読書記録: 15日『授業のワザ一挙公開』 10日『複雑さに挑む社会心理学』 5日『スカウト』
■日々記録: 14日【授業】役割の内面化 13日デジカメ 11日しりとりする4歳児 9日授業研究会など 7日【授業】権威への服従 4日風邪休暇 2日【授業】教育発達心理学特論

■『授業のワザ一挙公開─大学生き残りを突破する授業づくり』(浅野誠 2002 青木書店 ISBN: 4272411403 \1,890)

2004/12/15(水)
〜ワタシ的には残念な本〜

 筆者が開発してきた授業のワザを公開している本。といってもそういう実用的な内容だけでなく、大学授業改善のすすめであるとか、大学教育論も含まれている。全体的な感想をいうと、残念ながら、明日からすぐ使えるような内容は少なかったし、自分の授業を考え直す契機となる刺激も、決して多いとはいえなかった。ちなみに同じようなことは、筆者の授業改善ワークショップを受講したときにも感じており、「ここで何を得たか,明日からの授業をどうすればいいかは,よくわからないのが正直なところ」と書いている。印象が同じであったのは、とても残念である。

 その理由は、授業のワザを、筆者の実践を通してではなく、一般論として語ろうとしているからだろうと思う。たとえば、「説明・提示のワザ」としては「すべてを話すのではなく、焦点を絞って短時間に」(p.98)と書かれている。私が知りたいのは、ある具体的な内容について、どこまでを話し、どこをハンドアウトとして配布し、どこを作業や討論にするか、といった具体的なことであるが、本書ではそういう部分はとても見えにくかった。あるいは「グループ」に関しては、「さまざまな組み合わせがある。〔中略〕授業内容、学生数や学生の特質などを勘案してそれら多様な形態を活用できるようにしていきたい」(p.106)とあり、さまざまなグループ編成の方法や留意点は「列挙」されているが、具体的な授業でどのようなときにどのようにグループ活動を展開するのかのイメージは見えにくい。

 もちろん、本書の中にも、具体的な授業の中身が書かれていないわけではない。しかし扱われている授業が、少なくとも『生徒指導の方法』『教科外教育論』『基礎ゼミ』と複数あり、しかもこれらは、受講生も人数も授業の目的や方向性も違うため、どういうタイプの授業にどのようなワザが役立つのかが見えにくくなっていると思われる。筆者としては、特定授業のワザではなく、一般論として授業のワザや理論を展開したかったのだろう。また筆者の基本的な考えとして、授業の知的サイクル(「仮説・問い→調査・実験・製作・討論など→仮説の検証・結論→次の仮説・問い→以下くりかえし」(p.96))については、どのタイプの授業も一緒ということなのかもしれない。しかしわれわれは(少なくとも私は)、理論や一般論よりも、具体的な事例のほうが、自分に有用な知識を引き出しやすいところがある。本書も、これらの授業をそれぞれ事例として半期分丸ごと紹介しながら、その中で授業のワザとその意味づけ(あるいはまずい授業展開と良い授業展開)を示してくれたらよかったのに、と思う。

 しかしまあ不平ばかり言っていてもしょうがないので、私のほうで、『生徒指導の方法』という授業に関する記述をピックアップしてみることにした。この授業の大きな課題は、「中学生の人間関係トラブルにかかわる中学校教師○○の実践記録の検討を通して、指導方法を学ぶ」(p.89)ことが目的のようである。つまり、受講生が指導案を提案するとか何かのテーマについて調べるタイプの授業ではなく、基本的には「指導法を学ぶ」という、方法論的、実践的知識を得ることが目的なので、一般的な講義課目を組み立てる上で参考になりそうである。

 授業における成績評価はポイント制(p.71: 詳細は略)である。初回の授業では、この授業の進め方の説明の後、ゲームを行い、どのような班編成が良いかの討論を行う。その後、このようなアクティビティのある授業(ワークショップ型授業)について説明し、学級地図を描く課題を行い、次週までに配布プリント(?)を読む課題を出しておく(p.72)。それ以降、毎回の授業では、「なぜ藤木(実践記録の教師)は好きなもの同士班を積極的に採用しているのか」(p.90)などといった発問を2つ用意し、それを中心に(おそらくグループワークや討論を行いながら)すすめられるようである。グループ編成は、類似意見の者でつくったり、ゲームをしたり近くのものでという形で随時編成している(p.113)。グループ作業としては、「実践記録に登場する中学生高校生たちの人間関係、あるいは主要な登場人物の心の内外についての図を書かせる作業から始める」(p.129)という。あるいは、「中高校の教師による実践記録に出てくる重要な指導場面をとりあげて、その場面での教師・生徒のやりとりをロールプレイで行」ったり「もし自分がその教師ならどう指導するかを演じ、そのあとで、それをめぐって討論する」(p.139)そうである(ちょっとこの記述が具体性に欠けるのでイメージしにくいが)。

 先に述べたように、この授業は方法論的な知識を得ることが主目的で、そのために実践記録という材料を用い、2つの発問のもと、まずグループで実践記録を読み込むための作業を行い、自分の意見をつくり、討論を行う、というのが基本的な形のようである。また、日常的なレポート課題としては、「○月△日の授業での討論のなかで浮かび上がってきた□□□□□□という論点を、テキストの102〜115頁とからんで、分析せよ」(p.99)という形で与えられるので、テキストも読む必要性が出てくる。以前筆者のワークショップに参加したときに、筆者が「教科書を2回ぐらい読まなければ単位が取れない仕掛けがある」と言っていた(がその具体的中身は分からなかった)が、それはこういう仕掛けのことなのだろう。

 こうやってまとめてみて、ようやく少し、自分の授業に生かせそうなイメージを作ることができた。できれば次には筆者に、授業タイプ別に、具体的な授業の流れの中での大ワザ小技の解説(まずい対応例と改善例などもあるとなおうれしい)をするような本を書いてほしいと思う次第である。

【授業】役割の内面化

2004/12/14(火)

 共通教育科目「人間関係論」。集団と個人というテーマの3回目で、今回は「役割の内面化」がテーマ。

 前回の「権威への服従」については、「どうしてもアイヒマン実験の被験者が理解できない」という反応があったので、今回は、ジンバルドーの模擬監獄実験を取り上げながら、この実験の被験者の行動が実感として分かることを授業の目標とした。

 まずは現実に起きている刑務所での暴行事件を、週刊誌と新聞記事で示し、続いて、NHK「クローズアップ現代」で昨年だかに放送された「刑務所で何が起きているか」から14分ほどを見せ、過剰収容の問題、外国人や再犯者の増加により、刑務官の負担が増えている現実を知らせる。

 そこで数名に、このような状況で暴行をしてしまうことが理解できるかをたずねた後、スライドを使ってジンバルドーの模擬監獄実験を説明。そこでまた、数名に、被験者の行動が実感として理解できるかどうかをたずねた後、映画「エス」から25分分ぐらいを見せる。

 前にも書いたのだが、役割の内面化は、何もないところに自然に起きるわけではなく、事件がおき、それに対処する中で役割の内面化が進行する。そのことが、この映画視聴によって、多少は実感として理解されたのではないかと思う。次年度は、「看守」の立場にたって、看守の気持ちを考えながらこの映画を見るようにいうならば、もっとよく、看守が暴力的になることが理解されるのではないかと、授業後に思った。

デジカメ

2004/12/13(月)

 週末、デジカメを買ってしまった。上の娘(6歳6ヶ月)が生まれる年にはじめて買ってから、5台目である。

 1台目は、35万画素のもの。そのときは、どの程度デジカメを使うか(使いこなすか)分からなかったので、比較的安い機種を買った。液晶モニターもついていない機種である。絞りも手動の原始的な機種だったが、初めてのカメラにしては悪くなかったかもしれない。しかしやはり液晶モニターがほしくなり、半年後に2台目を買った。

 2台目は150万画素。当時はこのクラスでは世界最小・最軽量で、けっこう頑張って使ったのだが、あまりに起動時間が遅いので、2年ちょっとで次の機種に。3台目は、3倍ズームがつき、また、当時クラス最速の起動・記録スピードを実現したもの。これも重宝して2年半使ったが、あまりに暗所に弱い(ピンボケしまくる)のに業を煮やして、去年次を買った。

 4台目は、200万画素で3倍ズーム付きという、初心者向け入門機としては標準的(あるいはやや低レベル?)なスペックのものである。デジカメの値段がこなれてきたのか、値段は確か、初代機種と大差なかったのではないかと思う。逆に2台目・3台目と比べると1/3程度で、これにはちょっと驚いた。この機種は、あまり細かい調節はできないものの、コンパクトで扱いやすいし、暗いところでもまあまあ撮れる、悪くない一台だった。

 ところが、娘たちが幼稚園に通うようになると、運動会だの発表会だのがあって、どうも3倍ズームでは物足りない。それで、思い切って5台目を買った。今回買ったのは、300万画素、12倍ズームの機種である。値段は4台目の倍弱か(ということは、4台目+5代目≒3台目の値段)。この機種は、入門機というよりはもう少し上を目指しているようで、いろいろと調整できるポイントがあるようである。これまで私は、デジカメといえばほとんどオートでそのまま撮ってきたので、どれほど使いこなせるのかは分からないが、もしそれなりに凝ってそれなりに結果が出せそうなのであれば、凝ってみるもの面白いかもとちょっと思っている。そんな元気ややる気があるかどうかは分からないけれども。

【育児】しりとりする4歳児

2004/12/11(土)

 1年前、下の娘は「空想一人遊び」をしていた。彼女は、4歳3ヶ月になった今も、空想一人遊びをしていることが多い。何か言っているので返事したりなんかすると、「自分ごといってるの!」(独り言、という意味だろう)と怒られる。

 あと最近(というか先ほど)気づいたこととして、下の娘は「しりとり」ができるようになっている。できるようになっている、ということは、ちょっと前まではできなかったわけで、私が「りりりり、りす」なんて言っても、「ええええ、えんぴつ」と、全然しりを取らずに適当に思いついた単語を言っていた。

 それが先ほどは、ちゃんと私が言った単語の尻を取って、返してくれた。もっとも、平気で最後に「ん」のつくことばは言うし、同じ単語を何度も言ったりする。その上、私が途中に「ん」のつくことばを言うと、「んがちゅくからだめ」と怒られたりもするし。まあまだ十分には理解していないようだけれど、しりとりのできない時期のことを思い出すと、それだけで十分感動である。

■『複雑さに挑む社会心理学─適応エージェントとしての人間』(亀田達也・村田光二 2000 有斐閣アルマ ISBN: 4641120811 \1,890)

2004/12/10(金)

 社会心理学が扱っている対象を、統一的な視点で説明しようとした本。本書で採用されている視点は2つある。一つは「適応」である。本書における適応とは、「自分や血縁者(子孫や親族)が生活する確率を高める特性」(p.6)という、進化生物学的な意味の適応で、特にこの意味での適応を筆者らは「道具的適応」と呼んでいる。ある行動が、生き残りに「役立つ」ための道具になっている、ということであろう(それ以外の適応として、「ある行動が心の安定につながる」(p.62)という「心理・情緒的な適応」が挙げられている)。

 もう一つのキーワードは、「マイクロ−マクロ関係」。これは、「個人の行動が他者にとっての新たな社会環境を作り出し、ひるがえって問うの個人の行動にふたたび影響を与える」(p.23)というような、個人レベルと社会レベルの相互の影響関係のことのようである。まあ簡単に言うと、社会現象を個人の行動レベルで説明するとともに、社会レベルの影響を考慮に入れて個人の行動を説明する、ということだろう。

 私が本書を読もうと思ったのは、「適応」がどのように扱われているかに興味があったからだ。適応ということは、一見不適応的に見える集団の作用にも、適応的な意味があるということである。たとえば、集団の中で人は他者に必要以上に同調をし、客観的な判断が(表明)できなくなったりするという現象がある。これは、集団が集団として円滑に適応的に機能するためには、集団のメンバーが似通った思考・行動パターンを示す必要があるから、と考えることができる(これは、筆者が直接そう書いていたことではなく、p.35あたりを読みながら私が考えたことである)。

 あるいはグループの協調に関していうと、「グループの遂行効率は、グループに期待される水準になかなか届かない」ことが知られている(p.109。第一筆者による『合議の知を求めて』にもそういう記述がある)。しかしそれは、「グループが最高の効率で機能することこそ犠牲にしますが、同時に大きなエラーを犯すことを防ぐ安全装置として作用」(p.110)するとか、「複数のセンサーが検知した共有情報は、1つのセンサーしか検知していない非共有情報よりも、情報としての信頼性が統計的に高いはず」(p.127)と、高い適応価をもっていることが考察されている。

 こういう考察は、第一筆者の前著『合議の知を求めて』にはなかったはずである。前著では「合議や対話を通じて独自に解決できる問題とはいったい何だろうか」という問いが提起されており、上記のような記述はそれに対する一つの解ということができ、興味深く読んだ。しかしよく考えてみると、このような説明は、(私が知っているような)一般的な進化生物学の説明がもつ難点と同じ難点を持っているように思う。それは、「単にこのようにも説明できるというレベルではないのか」という問題である(『進化と人間行動』を読んでそう思った)。

 そういう疑問はあるものの、本書は、ありがちな○×心理学概論書とは違い、統一的な視点からトピックや研究を選択し説明しようとしている点は、興味深い本であった。

授業研究会など

2004/12/09(木)

 今日の2時間目は,大学院の必修講義「教育発達心理学特論」の2回目。基本テーマは「スキーマを通して理解する」である。前回に引き続き,「教えて考えさせる授業」スタイルを取ったのだが,「隣近所の話し合いで解消しなかった疑問は全体で扱う」部分がなかなか難しかった。ここで適切な疑問を取り上げて扱わないと,全体の理解が不十分になる恐れがあるからだ。今回は,話し合い後に何人かにあてて疑問を挙げてもらったが,次回は,話し合い中の机間巡視で,話し合っている疑問をいくつか拾って,そのなかから適当なものを私のほうで選んで全体に提示するのがいいかもしれない,と思った。

 午後からは一つ授業をやったあと,附属小学校で授業研究会。私は討議の最後に,心理学の立場から「講話」を20分ほどすることになっていたのだが,その場でみた授業にふさわしい話をしなければならなかったので,けっこう大変だった。結局,スキーマ(知っていることと学ぶものの関係)の話と,思考における壁の話(最近考えていること)の話を,15分程度した。具体例を挙げられるとよかったのだが,そこまでは頭が回らなかったのがちょっと残念だったけど。

 その後は,先生方と飲み会。ひさびさに,教育に関するいろいろな話を聞くことができたので長居してしまい,1時過ぎに帰宅した。こういうこともひさびさである。

【授業】権威への服従

2004/12/07(火)

 共通教育科目「人間関係論」。集団と個人というテーマで、前回の同調に引き続き、今回は「権威への服従」がテーマ。

 前半は、「知ってるつもり」でやっていた「アイヒマン」の話を、18分ほど見せながら多少の解説。アイヒマン実験の映像を見せた後、自分だったらどこまで押すかを聞き、実際の実験結果を示す。さらに、『服従の心理』より、ミルグルラムの実験を10個ほど、仮説実験授業のように予想を立てさせながら説明することで、「権威の下での人間」像をつくってもらうことを意図する。

 予想と解説という仮説実験授業的な部分がどのように受け止められたかは、授業中はよくわからなかったのだが、授業後に質問書をみると、ちゃんと自分なりに予想を立て、それがはずれていたことに驚いてくれた人も少なからずいたようだ。

 あと、この授業では今年初めて、このような質問書を書かせたのだが、アイヒマン実験を、「いやな実験」と感じた人が少なからずいたようだ。いやな、というのは、人間の負の側面を見せ付けられるので、ということのようである。私はこの実験は、気づかれにくい人間(自分も含め)の特徴を浮き彫りにしてくれる、鮮やかな実験としかとらえていないので、意外だった。そういうことを言われると、集団(というか複数の人がいること)のよさについても、伝えてあげくなってくる。といっても今年はスケジュール上無理なのだけれど。

■『スカウト』(後藤正治 1998/2001 講談社文庫 ISBN: 4062731460 \769)

2004/12/05(日)
〜目利きの仕事に密着取材〜

 『生体肝移植』の著者が、あるプロ野球スカウトに密着取材した本。『マネー・ボール』は、従来型のスカウトとは全く異なるデータを駆使して球団を経営する本であったが、そういうやり方に一番反発したのは、球団のスカウトだったという。これを読んで、従来的なスカウトについての本も読みたいと思っていた。本書は、そう思って探したわけではないのだが、筆者の『生体肝移植』も面白かったことだし、本書も面白そうなので買ってみた。

 本書の主人公である木庭氏は、広島カープで長年スカウトをして多くの逸材を発掘した人。この世界、「三割打てば一流スカウト」(p.151)なのだそうだ。実際、本書に登場する別のスカウトは、8割方はハズレだったと述べているし、木庭氏の2番目の職場だった大洋ホエールズで過去10年のドラフト指名リストを調べると、一位、二位指名で活躍した選手が非常に少なかったそうだ。それだけスカウトした選手が活躍するということは難しいことのようなのだが、木庭氏がスカウトした選手は、ドラフト下位の選手やドラフト外の選手でもけっこう活躍した選手がいる。もっとも木庭氏はスカウトとしての活動期間が長いので、これだけでは単純には結論はいえないだろうが。まあしかし、本書で書かれている範囲で理解する限り、とても目利きのスカウトのようである。具体的には、衣笠祥雄、高橋慶彦、達川光男、正田耕三、長嶋清幸などを獲得したいきさつが本書では書かれており、そういう部分は80年代のカープファンにはたまらない内容になっている。

 『マネー・ボール』には、スカウトは自分の経験を過度に一般化し、思い込みにしたがって相関の錯覚を起こしているようなことが書かれていた。しかし木庭氏は、旧制商業学校の野球部でほとんど球拾いの部員として過ごしたのが唯一の球歴ということで、自分の経験にしばられる要素はない。また、昔はスカウトの数が少なかったし、今のように合議制ではなく、ひとりの新人はひとりのスカウトが責任を持って推すのが通常だったのだそうで、自分が推した人間が成功したかどうかは、ちゃんと確認し反省することができる。そのうえ、木庭氏はカープという弱小(かつ貧乏)球団という「ハンディある球団で育ったがゆえに、木庭をしてより目利きのスカウトにした」(p.93)ようである。

 その上で木庭氏が対象選手をみるときには、「速い球を投げる、ボールを遠くへ飛ばす」(p.139)など「まずは単純に見る」のだという。もちろんそれだけではなく、投球フォーム、コントロール、体力、足の速さをはじめ、球のキレや持ち、バットのヘッドの走りやフットワークやスローイングはもちろん、家庭環境、生い立ち、野球頭から、はては手足の大きさ、ヒップの形までチェックしている。

 そのどれだけが、良い選手を見分けるために有効に機能しているかはわからないが、しかし、これだけのスカウトになると、方法論は『マネー・ボール』とは異なるものの、一定の成果を上げるスカウティングが可能なように思った。数字に頼らない分、経験やカンを研ぎ澄ます努力をしたスカウトは、それなりの成果を上げてもおかしくない。職人的なスカウティングとでもいえるであろうか。

 なお筆者の方法論は、いわゆる密着取材。3年近く、このスカウトと行動をともにしたのだそうで、「この頃になると、漠然としたものであるが、スカウトの目というものがわかりかけてきた」(p.343)と筆者は言う。筆者の立場は「弟子入り」とは違うものの、密着取材の威力を感じることができた。そういう観点からも興味深い本であった。

風邪休暇

2004/12/04(土)

 昨日は、上の娘(6歳5ヶ月)が風邪で熱を出したので、私が年休をとって看病した。授業のない日だったので(昨日やろうと思っていた仕事は、日曜日に出勤してやる予定)。

 気がついてみると、私もちょっと熱っぽい。前日の夕方、風の吹く中、幼稚園の園庭に長時間いたのがたたったのだろうか。ということで私も、上の娘と一緒に休養したり昼寝したりして過ごすことにした(読書はしたけど)。

 考えてみると、風邪っぽくなったのって、すごく久しぶりな気がする。こちらをみると、2月に半年ぶりの風邪を引いて以来か。4年ほど前は、毎月風邪を引いたりしていたはずで、そのころからすると、半年振りの風邪気味なんて、ウソみたいな健康な日々である。

【授業】教育発達心理学特論

2004/12/02(木)

 今日は、大学院(教育学研究科)の必修講義、「教育発達心理学特論」の1回目。半期の講義を教員2人で分担しているので、今日が一回目だったのだ。受講者数は30名弱である。

 この授業、数年に一回、担当が回ってくるのだが、大学院全体の必修ということもあって、いつも何をしようか迷う。学部上がりの学生は、学部時代に教育心理学は取っているはずだし、採用試験の勉強でも教育心理学は一通り知っているはずだし。大学院に来ている現職教員は、私が講釈するような理屈よりも、はるかに実践的な知識を持っているだろうし。

 とまあ例年迷いはあるのだが、今年は、夏にやった認定講習が、現職教員にそこそこ評価されたという感触を得たので、その内容をベースに講義をすることにした。

 それに加えて、最近読んだ『学ぶ意欲とスキルを育てる』で紹介されていた、「教えて考えさせる授業」のスタイルをとってみることにした。基本的なやり方を以下に書く(やり方は、私なりのアレンジしている部分もある)、(1)教科書(今日の場合は説明プリント)の内容を何人かに音読してもらい、(2)その間、聞いている人は、疑問点や分かりにくいところをチェックしてもらう(今日はサイドラインを引かせた)。(3)分かりにくい部分は、グループで教えあう(今日は、隣近所の2〜3人で話し合ってもらった)。理解の目安は、他人に説明できるぐらい。この部分がどうなるかは想像がつかなかったのだが、今日は、5分ぐらいは活発に話し合ってくれていた。通常の講義だと私の口頭説明が中心なので、受講生の理解度に差が生じるのだが、このやり方だと、知っている人が知らない人に説明してくれるので、そういう差が生まれにくいように思った。特に大学院だと、留学生がいたりするので、そういう人たちにとっては悪くなかったようだ。

 (4)その後、隣近所の話し合いで解消しなかった疑問は全体で扱い、おおよそ疑問点がなくなったと思われる時点で、(5)理解した内容(今日は「スキーマとは何か」を自分のことばで表現)を紙に書いてもらった。5分ぐらいしてから、(6)教えあいタイムにどんな話をしたかと(7)紙に書いた自分なりの理解の内容を、何人かに聞いた。

 以上が、「教えて考えさせる授業」の第一段階である。この後、発展課題を考えたりする(上記の本に出ていた算数の例だと、概念に名前つけをするとか、自分で問題を考えるとか)。今日はそこまでは用意していなかったので、残りの時間は、パワーポイントを使って錯視図形などを投影しながら、発展的な説明を行い、最後に質問書を書いてもらって終わりとした。それにしても、この第一段階だけなら、教科書的な記述のプリントを用意すればすぐにできるし、ある程度の理解と思考活動は保証されるようなので、なかなか悪くない方法ではないかというのが、今日の感想であった。


[←1年前]  [←まえ]  [つぎ→] /  [目次'04] [索引] [選書] // [ホーム] []